カジューのインド徒然草

インド(ニューデリー在住)。旅行記を中心にインド生活を綴る。ヒンディー語も勉強中。20代中盤のインド大好き若手駐在員の徒然なる日常を書き記します。

第7回インド旅行記 アムリットサル(Amritsar)

2023年11月中旬、我々はディワリの時期に合わせてアムリットサル(Amritsar)への旅行を計画していた。ディワリに就いても今後ブログを書いていきたいと思っているくらいインドでは重要なお祭りだが、特にデリー近郊はディワリ期間中はお祭り騒ぎになってしまう為、どこか違う場所へ避難しようというのがこの旅行の目的でもあった。ちなみにこの都市は11月中旬は既に大気汚染もかなり深刻になってきていた。通常ディワリ後に一気に大気汚染が加速するところ、今年はディワリ前にAQIが1000を突破することもある等かなり例年対比でも大気汚染がひどい年だったらしい。ちなみにこのブログを執筆している2024年2月1日現在でもかなり大気汚染がひどい状況であるので、ざっくり4~5か月くらいはひどい大気汚染の中で生活する必要があるという印象。行程としては11月11日の朝早くにデリーを出発し、11月13日の昼にデリーに戻ってくるスケジュール。

 

出発

今回のフライトはいつものIndigoでは無くAir India。インド駐在日本人の間では悪名高き航空会社であるが、私は2年目に度重なる出張によって一気にマイルがたまり、Air IndiaやANAが加盟するStar Allianceのメンバーになっていたので、Air Indiaに乗る際は、ラウンジを利用できる。正直言って、私はラウンジがそれほど好きではない。というか、どうしてもラウンジを利用したがる人が好きではない。フライト迄あと30分も無いのに、一度はラウンジに入りたがる人って、いるのだ。まあそれはさておき、Air Indiaのフライトで、デリー空港のTerminal 1 から出発するフライトだったので、どうせだったらということでデリーのStar Allianceラウンジを初めて利用してみることにした

ラウンジ内部

 

他の国際空港と比べると、正直かなりランクは落ちる印象。落ち着いてはいたが、食事は基本カレーとちょっとしたデザートのみ。コーヒーメーカーは壊れており、アメリカ―ノしか出てこない。。。まあ、この前に行ったラウンジがドバイとかシンガポールみたいな世界でも有数のラウンジに入っていたからというのも有ると思うが。いずれにせよ、彼女はラウンジに入るのも初めてだったということで、経験としては行って見たのは悪くなかった。今後、敢えて早く空港に来てまでラウンジに行くかと言うと、行かないだろうなと思う。そもそもAir Indiaの運航便が少なすぎるのも、改善して欲しい。Star Allianceとしてもうちょっと頑張ってくれ、と思った。

 

アムリットサル到着

空港からホテルまでは、結構時間がかかった。これ迄訪れた場所は基本的に空港から都市部迄の距離がそれほど遠くないイメージだったが、アムリットサルはかなり遠かった。黄金寺院まで歩いて10分程度のホテルを予約していたので、14時くらいにホテルに到着してから1時間くらい一休み。前日までの仕事で疲れていたのも有り、16時ごろにホテルを出発して黄金寺院へ向かう。街中を見ると、デリーと比べるとなんだかすっきりとしている印象。うっとうしい客引きも少なく、確りと整備されている。凄然と立ち並ぶ街中のローカル店の中に、マクドナルドもあった。マーケットの中心部には、美しいモニュメントもあった。恐らく何らかの意味が込められたものなのだろうが、良く分からないまま3日間がすぎてしまった。(恐らく土地の英雄のモニュメントであろう)

中心部のマーケットは整然としている印象

中心部にあるモニュメント。土地の英雄だろうか。

 

いざ、黄金寺院へ。

いざ、黄金寺院へ。靴を脱ぎ、預ける。預けるところで、「日本人か?」「そうだ。」「俺らは日本人が好きだ。チャイを飲め。」とのやり取りのあと、カウンターの下からいつ作ったか分からないようなチャイが出てきた。ちょっと流石に飲めないので丁重にお断りした。シク教の教義のため、寺院に入る際は確りと足を洗う必要がある。それを入り口でじっと見張っている人がいる。そして、髪の毛は確りと隠さなければならない。私は街中で20ルピーで購入したオレンジ色の布を巻き、彼女はパンジャービースーツを着ていたので、その布を使って髪を隠していざ中へ。

正門。この右手に靴を預ける場所が有り、この門をくぐる前に足を水で洗う必要がある。

美しく幻想的な黄金寺院。



本堂には多くの人が立ち並ぶ。

 

余りの美しさに、これ迄の人生で経験したことの無いような感動を味わった。ずっとここに居たいと思わせるような落ち着いた、然し荘厳なパワー。実際、この日は夕方から夜までいました。写真を撮っていると、シク教の方から、「寺院におしりを向けるな」と注意された。ちゃんと注意してくれるところが優しいな、と思った。注意してくれなかったら、ずっと日本人の責任を背負ったまま恥をかき続けるところでした。日が落ちてくるとまた別格の美しさ。黄金寺院の周りを取り囲む人工池に反射する黄金寺院の美しさは何とも形容しがたいほど。壁に背中をあずけ、あぐらをかき、黄金寺院を見つめ、ただ時間が過ぎるのを感じる。心を落ち着けることが出来てとても良い経験だった。ここ、黄金寺院には有名な無料宿泊所と無料の食事を食べられる場所があるのだが、彼女がおなかを壊すとまずいので今回は見送り。こういう時は、何の責任も無いバックパッカーってうらやましいなとも思うが、確り金銭的余裕も有る自分の身分の方がそりゃいいよな、と思い直す。自分は本当に恵まれている、と思い直す。

 

夕食

さて夕食は、黄金寺院の近くにあるPartition Museumの隣に、2つの有名な食堂が隣り合っている。1つがBrother’s Dhaba、もう1つがBharawan da Dhaba。結局滞在期間中に両方いったのだが、どちらも非常においしかった。但し両方ともベジメニューしかない。

写真奥に、二つのレストランが並ぶのが見える。

 

Jallianwala Bagh

次の日は朝からJallianwala Baghへ。ここは、歴史の教科書で習ったことのある、アムリットサル事件が起こった場所。事前知識なしで訪れると、ここは単なる美しく落ち着いた公園のように見えるが、まさにこの場所で非武装のインド市民が、英国率いる軍部によって虐殺されたのである。中には大きな井戸があり、そこには説明として「この井戸に何人ものインド人が逃げ込んだが、全員の息の根が止まるまで銃声が響き続けた。まさに地獄のような光景だった。」と書かれていた。敷地内にはこの悲劇を伝える資料館も併設されていた。

入口。事件を受けてのインド人の矜持が見て取れる。

 

現在は平和な公園に、モニュメントや資料館が立ち並ぶ。



 

この後、歩いて行ける距離にあったPartition Museumに行く予定だったが、近くにスターバックスがあったので休憩の為入店。スタバの周りはこれまたおしゃれな装飾が施されたような街並みになっていて、なかなか良い。スタバの中ではクリスマスの音楽がかかっていた。

 

Partition Museum

そもそもPartitionとは、1947年にインドが独立する際、パキスタンというムスリム国家と分離独立することになったが、その分離独立の事を言う。パキスタンと国境を接するこのパンジャーブ州では、古来から色々な歴史がある。日本で”普通に”生まれ育つと、宗教について深く考える機会はなかなか無いし、宗教で争うって正直あほらしいと思う。正直今でも自分は、たかが宗教で殺し合うまで争うってどういうこと?自分の信仰する宗教なんて、自分がたまたまとある時期にとある場所に、とある両親のもとに生まれついたから信仰しているだけで、そこには何の正統性もないと思っている。だから宗教によって争うなんてばからしいとも思う。でも、生まれながらにそう思えない人もいる。だから、冷笑的な一歩引いた態度では無く、確りと相手が宗教に対してどう考えているか、人生にどう向き合っているかを理解して話さなければならない。特にインドでは。と、強く思っている。少しでも歴史に興味がある人は、このPartition Museumは必ず訪れるべき場所であると思う。

 

ワガ国境(Wagah Boarder)

入口。奥に国境の門が閉まっているのも見える。

期待の10倍凄かった。まず行くまでの道中でめちゃめちゃ野焼きしていたのが気になった。このパンジャーブ地域の野焼きによって発生する煙は、デリー地域の深刻な大気汚染の一つの要因ともなっていると言われている。話は脱線するが、デリーの深刻な大気汚染の原因ってなんなんだろう?勿論一つでは無いのだが、この野焼きがかなり大きい要因を占めているという説明をする方もいる。でも、コロナの時期に大気汚染がかなり改善されたっていう話をみると、やっぱりデリー地域の工業・産業によるものが大きいんじゃないかなと言うのが個人的な結論(科学的検証全くなし)。恐らく、コロナの時期にもパンジャーブの焼き畑農業ってのはやっていたはずで。食糧って必須だし。何が落ち込んだかというと都市部での産業活動であったり、人間の社会活動であったりして、その結果として工場からの排出や車の排気ガスが減ったりして、これが大気汚染改善に役立ったのではないかな、と。勝手に想像しています。

パレード開始前で国境が閉まっている状態。奥にパキスタン国民が座っているのが見える。

 

話を戻すと、このワガ国境のパレードは想像以上に凄かった。調べたところ、外国籍の人は外国人用の椅子に座れるらしいのだが、我々は何故か普通にインド人用のシートに案内された。結果として、より熱気を近くで感じられるのでこちらの方が自分としても良かったのだが。国境が開く前に、色々なんか催し物が有る。軍人さんによるマイクパフォーマンスであったり、patrioticな歌がかけられてみんなで歌ったり。途中で、女性だけが下に降りてダンスしながらパキスタン側にアピールする時間があった。良く分からなかったのだが、見ていると観光客とかも普通に参加可能らしい。白人観光客の一行が参加して、もみくちゃになりながら迎え入れられていた。こちらからはパキスタン側の様子もやや見ることが出来るのだが、面白いのは、パキスタン側の人たちはインド側と比べて確り整列して上から並んで座っていった。国民性なのか宗教によるものなのか、面白かった。国境が空き、ボルテージは最高潮に。ヒンディー語でインド万歳的な掛け声をして、みんなの一体感がすごかった。でもやはり国として一体となって成長しようと思うのであれば、このような形で一体感と愛国心をはぐくむ試みって大事だよな、とも思った。掲揚されている国旗がゆっくりと下げられ、パレードが終了した。この国旗の下げ方も、いずれかの国旗が上にあってはいけないので、慎重にゆっくりと下げられるらしい。

すさまじい熱気の中、国境が開けられる。

 

ゆっくりと国旗が降ろされ、国境が閉じられる。

 

夜、また黄金寺院へ。その日はディワリの一番大きなお祭りの日で、前日とは比べ物にならないくらいの人がいた。ディワリではろうそくをともすのだが、それがとてもきれいで幻想的だった。ヒンドゥー教シク教関係なくインド全体でろうそくをともしてお祭りをお祝いするということが何か不思議な感じがした。よくインド人に、「日本で有名なお祭りって何?」と質問される。そのたびに、「日本では正月かな」「他にも七夕とか雛祭りみたいな面白いお祭りがあるよ」と返していたのだが、日本でここまで国を挙げてお祝いするお祭りは無いと思う。

ディワリのろうそくと黄金寺院

 

ディワリは光のお祭りでもある。



 

最終日

朝起きて、なんやかんやでまた黄金寺院へ。最後の街歩きもしたが、やはり街全体としてとても落ち着いており、デリーのような客引きも無く、人種差別的な言動もほとんど受けなかった。黄金寺院は何度訪れても美しく荘厳で、絶対また訪れたいと思う程でした。

最終日早朝の黄金寺院。いつ見ても美しい。

 

備忘録
  1. 街を訪れる前後に、必ず街の歴史を知っておく。知識があると無いとでは、何でもない風景の見え方が全く変わってくる。この旅行を機に、インドの歴史書を確りと読むようになった。インドの歴史がインドで子供たちにどの様に教育されているかというところに非常に興味がわいた。
  2. 黄金寺院は全て寄付とボランティアで成り立っている。他の国で出来るかと言われると難しい。このような人々が助け合う気持ちがインドの根底に流れている。是非デリー地域の人々にも助け合いの精神を学んでほしいと切に願う。
  3. ディワリであったりヒンドゥー教の基礎知識であったり、インドで暮らすうえで必要不可欠な文化的知識を積極的に吸収する必要がある。知識を付けることで生活がより彩るのは勿論、インド人の考え方の枠組みをも把握することに繋がる。

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