カジューのインド徒然草

インド(ニューデリー在住)。旅行記を中心にインド生活を綴る。ヒンディー語も勉強中。20代中盤のインド大好き若手駐在員の徒然なる日常を書き記します。

第8回インド旅行記 インパール(Imphal)

11月中旬、アムリットサルから帰ったその週に、父方の祖父が亡くなった。突然のことだったが、各方面に直ぐ連絡をして、一旦日本に帰国して葬式に出るつもりだった。家族とも話したが、「お前はインドにいていい、帰ってくる必要は無い」とのことで、孫不幸だとは思いながらも、インドに残る決断をした。かといって、インドで勉強する気も起きなかった。思い立って、どうせだったらヒンディー語から離れた場所に行ってこようと思った。急だったので、本当に事前知識も準備も何もない。最初は南インドに行こうかと思ったが、なんとなく地球の歩き方を眺めて、北東インドに行こうと思い立った。元々歴史好きということも有り、インパールという地名には惹かれるモノがあった。でもその詳しい位置も分からないくらいだった。せっかくインパールまで行くのだから、ついでにもう1都市くらい行こうと思い、近くの直行便がある所を探した。するとAssam州のグワハティが、インパールから直行で行けるし、デリーへの直帰便もあるではないか。デリー⇒インパール⇒グワハティ⇒デリーというルートで行くことに決めた。

 

到着

デリーからインパールまでは飛行機で約3時間ほど。2時間ほどたったあたりから、窓の外の景色が、ここは本当にインドか?と思う程に、青々とした山に囲まれていた。旅行に行くたびにインドの広さに驚かされる。

飛行機の窓から見える景色。青々とした山に囲まれている。

そしてインパール空港に到着。ホテルまではUberで行こうかな、と思っていた。メールボックスから予約したホテルを検索して、と思ったのだが一切検索できない。Twitterを開いても一切読み込まない。Lineが繋がらない。おかしいな、と思うがしょうがないので航空機から降りる。空港のArrival Gateはインド人用のGateと外国人用のGateに分かれている。外国人Gateには私しかいなかったが、進んでいくと、滞在目的やVisa Numberなどを記入する用紙を渡され、言われるがままに記入する。ここでもメールボックスは一切読み込めない。諸々の記入が終わると、100均で買えるような付箋にXXXXX(失念、例えばVL9724みたいな識別番号が割り振られる)と書かれたものを、パスポートのスタンプのページに貼付される。そして、大真面目な顔で「これを絶対に無くすな。そしてインパールから出るときにこれをまた空港職員に返せ。これが無かったら出られないぞ。」と言われる。そんな大事なモノなら付箋じゃなくて確りとデジタルで管理してくれよ、、、と思いながらも、まあしょうがないと思って進む。Uberは引き続き使えなさそうなので、空港のプリペイドタクシースタンドでスクショしていたホテルを見せてタクシーを予約してもらう。タクシーの運ちゃんがきて、私に現地語で話しかけてくる。インパールの人々の見た目は、もう東アジアの人々と全く変わらない。我々と同じような見た目なので、現地人だと間違われたのだ。インパール出身でデリーで大学生をしているという女性とタクシー相乗りでホテルに向かう。英語がとても堪能で驚いた。

空港のArrival Gate。インドらしさはどこにもなく、外国人とインド人で入場は分けられる。



ホテル到着

特に下調べもせずに取ったのだが、私が泊まるホテルは、インパールの街からかなり離れた所にある、自然の中で心を落ち着けるタイプのホテルだったらしい。ホテルに到着すると、とてもきれいで、家族経営の、農場が併設されているようなホテルだった。空気はとてもきれいで、ホテルの周りにはヤギがたくさんいた。山に囲まれている感じは母方の祖母の家を思い出す。空気を吸い込むと、澄んだ空気に草木の青い香りの混じったにおいがして、高校大学で地獄の合宿をした長野の菅平を思い出す。きれいな空気でリラックスするはずが、なんか嫌な記憶も思い出させる。記憶って不思議だ。

ホテルの窓からの景色。自然豊かで空気が気持ちいい。

ホテルの受付の女性はとてもきれいな方で、英語も堪能な方だった。見た目は本当に日本人に全然いそうな感じ。ホテルにはWifiが繋がっており、やっとインターネットに接続できた。自分の携帯がおかしいのだと思っていたが、この受付の女性に聞いてみると、今インパールでは政府によるネットの遮断が行われているとのこと。これには驚いた。自分の無知を恥じるばかりであるが、インパールの属するマニプル州はインドからの独立運動も盛んで、これまた色々な問題を抱えている地域なのだった。そもそもマニプル州に入る事自体も制限されている時期も有ったようで、下調べ無しで突撃したのは今考えたら向こう見ずな行動であった。ともかく、ホテルの部屋自体はとても清潔で広く、景色も最高。ちょっとゆっくりして、外に繰り出そうと思った。

部屋の設備は申し分なし。

私は旅行に際してガイドを付けない派である。色々な理由は有るが、一番の理由は自分の好きな所に好きなペースで回りたいから。必要な知識はインターネットで調べながら進めばよい、と考えているから。但し今回のインパールでは、そもそも外でインターネットが使えない(唯一電話回線だけは使用可能)ので、先ずホテルの人に頼んでタクシーを呼んでもらい、その人に2日間ガイドをしてもらうことにした。1日目は、既に夕方になっていたので、インパールで有名な、女性だけによって運営されているEma Keithel Marketに行くことにした。

ネットの遮断により、例えばGoogleMapはこの画面から動かない。



Ema Keithel Market(エママーケット)

女性だけによって運営されているこのエママーケットは、大きく3つのマーケットからなっており、外壁がピンクに塗られた中国風の建物の中にある。衣服系を取り扱っているゾーン、食料品を取り扱っているゾーン、日用品を取り扱っているゾーン、と別れていた。色々見て回ったのだが、確かに店員は女性しかいない。

エママーケットの外観。写真は第3マーケット。

エママーケットの中(食品売場)。

食品エリアには、インパールで有名な魚や、黒いお米も売っていたが、衛生状態はお世辞にも良いと言えるものでは無く、これ迄旅行や出張で先進国から発展途上国まで色々な国や地域を訪れてきたが、その中でもトップクラスに”途上国”を感じる臭いがした。そもそも潔癖症の方はこのマーケットに入れないだろうし、臭いに敏感な方は入っただけで気分を悪くするかもしれない。それ程に強烈だった。マーケットの中では、インドの他地域では見たことのないような女性像が祭られていた。

エママーケット内で祀られていた像その1

 

その2

 

エママーケットの周りには、普通のバザール的なマーケットも広がっている。中にはアディダスショップやLevisのショップなども有り、思ったより整備されていた。iPhoneを取り扱うショップもあったが、インターネットが遮断されているこの地でiPhoneを買ってどうするのだろうと思った。(このブログを執筆している2024年2月1日現在はマニプル州の政府によるインターネット遮断は解除されたとの情報有り。)実際、町の人々は電話機能だけを有するちっちゃな携帯電話を使っている人が多かった。

街を歩いていると、みな顔立ちは東アジアと同じなので、私も街に溶け込む事が出来る。観光客に投げかけられるような目線は一切ない。というかそもそも私以外に外国の観光客は一切いなかった。街を歩いて、不思議に感じるのは、顔立ちは完全に東アジア人なのに女性は当たり前のようにサリーやインドの民族衣装を着ている。もしかしたら正確にはこのインパールの民族衣装を着ている方もいるのかもしれないが、このまったく違う人種までインド文化圏に取り込んでしまうインドの凄さも感じた。また、町を歩くと、10mおきくらいに軍人が立っているのが目に着く。軍の車両が毎秒横を通り過ぎていく。デリーのような喧騒は無く、全体的に落ち着いた雰囲気なのだが、何か変な緊張感があった。これは実際に足を運ばないと分からないことであろう。

マーケットの外で魚を売る女性。どうしてもこの魚を食べる気にはならない。

 

バザールには現代的な店も立ち並ぶ。

 

その日の夜はホテルに戻り、周りにレストランなどは無いのでルームサービスの食事を楽しんだ。

 

2日目、Kangla Fort(カングラ城)

次の日朝早く起きて、ホテルの周りを散歩する。祖母の家の周りのような雰囲気を感じつつも、たまに見かけるお家を除くと、本当に今は2023年か?と思うような環境で暮らされている方々がいる。

ホテルの周りは完全な山。


SNSを覗くと、「日本はもはや発展途上国だ」という言説を見かけることは少なくない。最近はそのようなSNSからは距離を置いているが、一回ここにきて言ってみろ、と言いたくなる。ホテルの朝ご飯を食し、昨日と同じドライバーと共に観光に向かう。まずは、インパールの中心部にある、Kangla Fortというお城だ。

 

城内中心部にある城のメイン。見たこと無いタイプの狛犬が並ぶ。

近くで見るとこんな感じ。

お寺らしいが、建立時期も宗教も良く分からない。何処か中国的、チベット的な雰囲気がある。

レース(何の?)で使われた船とのこと。1000年以上前のものと書かれていたが恐らくレプリカだろう。

はっきり言って見どころは殆ど無い。明らかにインドと違う文化圏であるということを再確認出来る。また、このインパールはポロ発祥の地としても有名であり、Kangla Fortの中にもポロ闘技場があるのだが、そこで実際にポロが行われているわけでも無ければ説明書きが為されているわけでも無い。広い敷地の中に観光客は私以外に一切おらず、現地の人と思しき人が数名いた。観光客よりも、軍人の数の方が圧倒的に多かった。夜には光と水のショーが行われるらしく、ヒンディー語系YoutuberのMayoさんもおすすめされていたが、見ることはしなかった。

古くからあるポロ闘技場らしいが、説明書きは一切ない。

 

平和祈念館

インパールと言えば、かの悪名高いインパール作戦が決行された場所であり、ある意味で大日本帝国敗戦の重要な一ピースでもある。それだけに、この地に来たからには日本人として訪れておく必要があると思い、平和記念館に訪れた。これの設立自体はまだ5年前程度ではあるが、安倍晋三元首相の「和平」との書も飾られている、なかなかしっかりした場所と聞いていた。内容としては、最初三分の一がインパールの歴史、中間三分の一が戦争の経緯、最後三分の一が現在インパール出身で活躍しているスポーツ選手等の紹介、という感じ。戦争のパートにもっと分量を割いて欲しかったし、実際の写真もあると良いかとは思ったのだが、しょうがない。恐らく、日本の財団とインパールの当局(?)でどのようなコンセプトで作るかが議論された際に、インパールの今後の発展にスポットライトを当てるように、という話になったのだろう。恐らく。

 

平和祈念館外観。中は基本撮影禁止。職員は入口の門番だけ。

安倍晋三元首相による"和平"の書。

また、平和祈念館の最後にはノートにコメントを残すことができるようになっているのだが、そこには地元である愛知県のとある市から来ているかたがいらして、さして大きくない市なのに驚いた。

 

Loktak Lake(ロクタク湖)

東インド最大の淡水湖であるLoktak Lakeというのがインパール中心部から車で1時間ほど走ったところにある。正直インパールという町のみどころは殆ど無いが、このロクタクレイクだけでも訪れる価値はあるのではないか、と思うくらいにとても美しかった。

どこまでも続く青。この空間に自分一人。

 

すれ違う方は、現地のこの湖の上で暮らしている方。

この美しさは日本の自然でも太刀打ちできないほど。観光客は私の他にほとんど(というか全く)おらず、船も湖も独り占め。すれ違う船は全て現地のそこで暮らしている方。この湖で漁をして生計を立てている方。水平線まで広がる湖に浮かんでいるのは自分一人、そんな気持ちにさせてくれる。とても良い体験をさせてもらった。出発口まで戻っている途中、「いまから漁やるから見てけよ!」と言われてUターン。優しい人に出会うと、心が温かくなる。

伝統的な漁を見学させていただいた。

 

左の一行は、漁師さんに魚を貰っていた。
Keibul Lamjao National Park

ここは、Sangai(サンガイ)という絶滅危惧種のシカが見れる国立公園。世界で唯一湖の上に浮いている国立公園らしいが、上に立っている身からするとその実感一切なし。サンガイが活動するのは基本的には朝のようで、私が訪問した夕方にはもうほとんどのサンガイは寝てしまっているとか。朝、活動的な時間にはその動きが踊っているように見えることから、Dancing Deerとも呼ばれているらしい。東京ドーム何個分とかじゃないレベルの、永遠に続くんじゃないかという草原からサンガイを肉眼で見つける必要がある。ちなみに生息数は100匹にも満たない。正直不可能です。

広大な公園に100匹しか生息しない鹿を肉眼で探すチャレンジ。

ガイドもむきになって見つけようとするので、1時間くらい肉眼で探して諦めかけていたその時、公園のスタッフが集まって”日本人にサンガイを見せ隊”を結成してくれた。せっかくだから見てから帰れ、といわんばかりに。奥のオフィスから高性能レンズを持ってきてくれた。最初から持って来いよ、と思ったが。それでも更に1時間が経過し、ついにスタッフの一人がサンガイを見つけた。みんなでハイタッチして大人が順番にレンズを除き、見えた見えた!と叫んでいる。

皆で協力してサンガイ捜索中。



ここでの驚きは、インパールであってもヒンディー語が結構通じること。特に観光業に携わる人などは、ヒンディー語が堪能であった。

 

インパールからグワハティに向かう為に空港に向かった。空港はとてもこじんまりとしており、中にはテレビが一台だけあった。テレビでは、恐らくインパールでしか放送されていないテレビチャンネルで、演劇をやっていた。

唯一のテレビでは演劇が放送されていた。

笑ってはいけないと思いつつ笑いそうになったのだが、上の画像に2つの椅子と机があるのが見えると思う。劇の間、場面の転換は一切なく、この机と椅子を活用して3,4人の俳優がヅラを変えたり服を変えたりして出てくる。「ジャルジャルやん」って突っ込みそうになった。このインパールの地、マニプル州は文化的にもかなり国際的にも国内でも隔絶されているんだろうな、と思ったことを覚えている。

備忘録
  1. 当たり前は当たり前じゃない。今現在、政府によってインターネットが遮断され、街中に軍人が跋扈している緊張感の中生活をしている人々がいる。それでも生活は続いていくし、英語を勉強して外に出ていく人もいる。自分の環境が如何に恵まれているか、そしていかにそこにあぐらをかいているかを突き付けられた気がした。
  2. ヒンディー語を学ぶと、なんやかんやでインド全土の人とコミュニケーションが取れることが分かった。これは、自分のヒンディー語学習においてかなりのモチベーションになった。

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