前回の投稿に続いて、カジュラホ編その2です。
前回の投稿はこちら。
第14回インド旅行記 カジュラホ(Khajuraho) その1 - カジューのインド徒然草 (hatenablog.com)
Eastern Group(東側の寺院群)
最終日の朝、ホテルで軽く朝食を取って、東側の寺院に向かった。
東側の寺院群は西側程纏まっていない。ここにはヒンドゥー教だけでなくジャイナ教の寺院があり、訪問してみた。寺院の中には、フランスから来た50歳くらいの女性とインド人ガイドがいた。ガイドにヒンディー語で挨拶してみると、私に興味を持ってくれたようで、ガイドに誘われて、このフランス人女性と一緒に説明を受けながら寺院を回った。
私の旅のやり方として、自分のペースで自分の見たいものを心置きなく誰にも邪魔されずに見たいという信念があるので、基本的にガイドはつけないのだが、やっぱりガイドにはガイドの良さがあると思った。彼の説明のお陰で、ジャイナ教の寺院とヒンドゥー教の寺院の見分け方であるとか、寺院の壁にはこのような神様が描かれていて、などなどの自分一人では決して分からない知識を教えてくれた。ちなみにジャイナ教寺院とヒンドゥー教寺院はは外側は殆ど同じ(というかヒンドゥー教の寺院を改修して作っているのだろう)。
ジャイナ教徒は、服を着ない。特にstrictな人に限ると思うが。その為、ジャイナ教寺院に描かれている神様は服を着ていない。これがヒンドゥー教寺院との見分けかたの一つでもある。
またその為、寺院内部にはとにかく明るい安村みたいな写真が一杯飾られている。ジャイナ教のお偉い指導者の方々の、服は着ていないのだが局部は映さないような撮り方の写真がいっぱい飾られており、笑ってはいけないのだが正直笑いそうになってしまった。
ある老人との出会い
時は戻って、東側のジャイナ教寺院へ歩いている途中、とある老人と出会った。東側の方には観光客は殆ど一切歩いていないので、最初は彼もなぜこんなところに外国人が?という興味で話しかけてくれたのだと思う。そして、私がヒンディー語で返答すると、外国人がヒンディー語を話せるということにいたく感銘を受けているようだった。
出会った場所からお目当ての東側のジャイナ教寺院までは1.5kmくらいの道のりがあったのだが、「ここに行きたいんだが、どうやって行けばいい?」と聞くと「こっちの方が近道だ。」と町の集落の中を横切って一緒に歩いてくれた。一緒に歩いていると、何故だか、周りの人々がこの老人に挨拶をしているような気がする。それも「ラームラーム」「シーターラームシーターラーム」といったヒンドゥー教丸出しの挨拶。
10分程度、ヒンディー語で会話しながら歩いてジャイナ教寺院の入り口にたどり着いた。そこで、老人に誘われてチャイを飲んだ。外国人が珍しい(しかもヒンディー語を話す)のだろう、数人のインド人が集まってきて、色々な話をした。すると、老人が「自分のカーストはPanditだ。ブラフマンなんだ。だから皆私に挨拶するのだ。」と言っていた。この老人は町の人にエラそうな態度を取ったりはしないし、自分のカーストを私にひけらかしたい訳でも無さそうだった。でも、未だに”カースト”というのが町全体に根付いていて、自分のカーストはこうだ、と胸を張って言う文化が普通に存在していることが結構衝撃だった。ここで私が「いやカースト制度って言うのはおかしくて~無くした方がよくて~」とかなんとか老人に説き伏せることは明らかな愚行だし、そうやってこの町は回っているのだ。ここに部外者の私が首を突っ込むところじゃない。と思いつつもやっぱり驚いたし、もっとインドの文化を勉強して、その為にも言語を勉強して、インドの色々な側面を知りたいと強く思った。
ジャイナ教寺院の観光を終えて門から出ると、この老人が待っていた。「ちょっと一緒に歩かないか?」と言われたので、目的地も分からないまま老人について行き、途方もない旅に出ることになった。寺院の裏の道から、ずんずんと奥へ進んでいく。最初は、寺院の周りをぐるりと回ったら元居た場所に戻ってくるのだろうと思っていたが、どうもそうではないらしい。ずんずんと奥へ進んでいく。
途中の道は、日本の田園風景と何ら変わらない。私の生まれ育った町や祖父母の家を思い出すような光景だ。老人と拙いヒンディー語で会話を続けながら、はても無く歩く。途中、ここで行き止まりかと思ったら老人はひょいと木を登り、さらに奥へ進む。私も同じように木を登り、先へ進んでいく。
結局1時間以上歩いて、老人のお気に入りの場所と言う川を見せてもらった。特に大きいわけではないが、確かに心が落ち着くような、地元に根付いているような川だった。
実は、昼の13時に、アシュトシュとクリシュナと、ランチを食べる約束をしていたのだが、歩いているときに既に12時半を回っていた。しかもGoogleMapで調べると、ここから集合場所のホテルまでは歩いて45分くらいかかる。いま引き返しても間に合わないので、どうしても遅れるのは確定。彼らに時間を1時間ずらしてもらい、どうせだったら老人と心行くまで一緒に居ようと思った。ただ、老人には14時までにはホテルに戻らないといけないという旨を伝えた。「ではそろそろ戻るか。」と言い、また果てしない田園風景の中を歩き始めた。道すがら、老人は畑の中で暮らす人々の家を訪ねて回った。私も同行させてもらい、皆に挨拶をした。日本では有り得ないような生活環境の中で暮らされている方がたくさんおられた。
その後、老人の家にお邪魔させてもらうことになった。家の中には奥さんと娘さんがいた。そこでチャイを飲み、自分の身の上話などを話した。詳細まで分からなかったが、2月の間に、親戚の結婚式がデリーであるそうで、家族でデリーに旅行に来るらしい。その際に私と是非会いたいとのことで、電話番号を交換した。その後、老人はホテル付近まで一緒についてきてくれて、最後に握手して別れを告げた。カジュラホの人の良さをひしひしと感じた体験の内の一つだ。
Southern Group(南側の寺院)
ホテルに着き荷物を纏めていると、アシュトシュから着信が入っており、もうすぐホテルに着くとのこと。話を聞くと、彼らの友達グループがたまり場としているホステルに、友人が集まっており、そこに私も招待してくれるとのこと。バイクで20分程走ると、そこには自然の中に一軒の小綺麗なホステルが有り、中には数人のインド人の若者がいた。ヒンディー語を話す日本人ということで珍しさも有ったのだろう、色々と話をした。その中の一人は、ひげの生え方とかルックスが日本人みたいという理由でジャパーニー(日本人)というあだ名で呼ばれているらしいが、私からするとどう見てもインド人だ。そこには酒やお菓子があり、酒を酌み交わしながら時間が過ぎていった。夕方、友人の一人が食事を作ってくれるということだったので、それを食べてから空港に行くことにした。
食事までの待ち時間に、ホステルの近くにあった寺院へ。南の寺院は西側・東側からかなり遠くにあるのと、ひとつひとつが点々としてる。1日で帰る際は訪れなくても良いと思う。今回訪れたのはDulhadeo Temple。
友人たちと
友人グループたちと酒を飲み、お菓子を食べて、ワイワイと楽しみながら時間が過ぎていった。Raja Café Restaurantというマーケットの中心部にある人気レストランがあるのだが、そのシェフが友人グループの内の一人であり、マトンカレーやチャパティを作ってくれた。15時ごろに食事が出来上がると、みんなで屋上のルーフトップで輪になってカレーを食べた。味は抜群で、おなかを空いていた私はチャパティを8枚も平らげてしまった。
彼らとの会話の中で感じたのは、自分のヒンディー語スキルに関して、一対一で話すときは、彼らも平易なヒンディー語で話してくれているというのも有りコミュニケーションできるが、インド人同士での会話が始まると、使われている単語も難しくスピードも速くなるためついて行けないな、と思った。また、ここに既に1週間くらい宿泊しているカナダ人の男性と出会った。このオーナーと、前回カジュラホに来た時に仲良くなって今回はこのホステルに宿泊しているらしい。
空港、帰宅
食事を終え、アシュトシュとクリシュナにバイクで空港まで送ってもらうことにした。友人グループに別れをつげ、3人乗りで空港までいく。空港到着後、お礼と、また必ずカジュラホに来ること、その際は必ず連絡することを約束した。私がありがとう代を渡そうとすると、2人とも断固として「お金はいらない」と言うが、この2日間、ここまでホスピタリティをもってもてなしてくれたし、色々な経験をさせてもらったので、せめてもガソリン代として受け取ってくれとお金を渡した。
最後、空港で飛行機を待っていると遅延の連絡が届いた。まあインドではよく有ることなので特に驚きはない。観光客であろう白人の老人が、かなり焦った様子で何度も何度も職員に状況を聞いては怒っているのが目に入ったが、まあインドってこういうもんだから落ち着いてください、と心の中で思っていた。待っていると、なんと航空会社が遅延のお詫びに、とカップヌードル(マサラマギー)を一人ひとりに配ってくれた。こんな経験は初めてだったので、やるじゃんスパイスジェット。と思った。帰りの飛行機も行と同じくスパイスジェットの飛行機で、デリーに到着。墜落したかと思うような衝撃で目が覚め、Uberを捕まえて家に向かった。
備忘録
- 一人旅の時は偶然の出会いを大切にする。しかし今回はうまく行き過ぎた面も有る。詐欺や身の安全に気を付けながらも、自分で旅の選択肢を狭めないようにする。
- 旅のクオリティを決めるのはそこで出会った人次第。自分の身を振り返ってみても、日本に来た外国人観光客への対応を意識して、彼らへの印象を良くすることはとても大事だと思う。そうするとまた日本に来たいと思ってくれるし、何らかの形でビジネスが出来るかもしれない。
- カースト意識については非常に難しい問題ながらも、インドで生活してインドで仕事をし、インド人相手にお金を稼ぐうえで色々勉強した上で自分なりの見識を付けておく必要があると思った。都市部だけ見てインドを語るのは本当に危険。何も、自分がカースト制度を無くそうと運動を起こす必要は無いのだが、問題意識を持って文化と知識を吸収することは不可欠であると思う。