カジューのインド徒然草

インド(ニューデリー在住)。旅行記を中心にインド生活を綴る。ヒンディー語も勉強中。20代中盤のインド大好き若手駐在員の徒然なる日常を書き記します。

第15回インド旅行記 ナーグプル(Nagpur)

ナーグプル(Nagpur)は、カジュラホと同じMadhya Pradesh(MP)州にある都市。この都市を訪れた理由はただ一つ、佐々井上人という方にお会いする為。佐々井上人の功績やこの方が如何に凄いかは、Wikipediaをサラッと読んだだけでも分かると思う。また、Youtubeにも彼の様々な動画が残っている。

佐々井秀嶺 - Wikipedia

恥ずかしながら、私は佐々井上人の存在を知らなかった。前回の旅行記として投稿したカジュラホを旅していた際、ホテルのベッドで何気なくXを開いて見ていると、とあるインド界隈の方が、「出張で訪れたナーグプルで佐々井上人にお会いできた、感動。」といった投稿をしていた。そこに、私の知り合いが「凄すぎます!」という反応をしており、私としては「いやこの人何者?」となり、インターネットで調べてみることに。そして、このWikipediaYoutubeの動画などを見てみた。何故だか分からないが、自然と涙が出てきた。私は全く敬虔な仏教徒では無く、あなたの宗教は?と聞かれたら無宗教と答えるだろう。多分死んだら”慣習に則って”仏教のやり方で火葬をしてお墓を建てるだろう。でもこの佐々井上人のことを調べるうちに、この方の生きざまに涙が出た。今すぐに会いに行きたいと思った。佐々井上人のことを知ったのが土曜日の夜で、その日のうちにナーグプル行きのフライトを取り、心に突き動かされるまま、月曜日の朝にはデリーからナーグプルに飛んでいた。(カジュラホ⇔ナーグプルの直行便が有ればよかったのだが、既にカジュラホ⇒デリーのweb check-inもすませていた為、一旦デリーを経由してナーグプルを訪れることとした。)

またこのナーグプルを訪れたのは、2024年1月22日アヨーディヤにラーマ寺院が再建されインド中がお祭り騒ぎになっているまさにその日だった。

 

到着

朝の11時過ぎ、ナーグプル空港に到着。思ったより大きい空港で驚いた。正直ほとんど下調べなしの状態で行ったので、数個の仏教遺跡があるような場所だと思っていた。然しナーグプルの街は想像の10倍発展した都会だった。これ迄観光で訪れた都市の中ではトップクラスに発展しているのではなかろうか。観光地と言うよりかは普通に都市としての機能を有しているようなイメージ。街には高速道路が有り、モールが有り、落ち着いた住宅街が有り、デリーのやや発展している地域とそう変わらない。高層マンションやビルも見られた。

車から見た街の景色。オレンジ色の旗が街中に飾られている。

この日はアヨーディヤのラーマ寺院再建の当日。街中はラーマの肖像画やオレンジの旗ででいっぱいに彩られていた。ローカルマーケットの中には、大きなハヌマーンの像がつくられているところもあった。街宣車のような車から大音量でヒンドゥーっぽい音楽が流れ、その後ろを若者はバイクでオレンジの旗を振って列をなして走る。

 

Indora Buddha Vihar

そんな街を見ながら、佐々井上人が普段いらっしゃるというIndora Buddha Viharという施設に空港から直接向かった。

施設の正面玄関。ヒンディー語でIndora Buddha Viharと書かれている。

施設到着したのは11時半ごろ。正面の玄関が開いていたから入ってみたが、中には誰もいない。中心部にはお祈りをささげる場所が有ったので、手を合わせてお祈りをした。施設の中には”オフィス”と書かれている場所が有ったが、電気はついておらず鍵はかかっており、誰もいない、何もない。

中に入ると中央には仏像があった。

正直、ナーグプルに来た理由は佐々井上人にお会いする為だったので、ずっとここで待っている覚悟は出来ていた。その為時間をつぶす本は何冊か持ってきていた。最悪お会いできなかった場合は、自分が来たという証だけでも残そうと、本の切れ端にペンで自分の思いを書き綴り、電話番号を書き、もしかしたら返事が来るかもしれないという一縷の望みに掛けようと思った。

すると、施設にあるインド人の若者が入ってきた。彼も施設内を一通り見た後、どこか残念そうな表情をしている。本を読んでいると、彼の方から話しかけてきてくれた。彼はチェンナイから来たとのことで、このナーグプルには佐々井上人に会いに来たらしい。「disappointedだよ」と言っていた。彼が外にいた現地の人に聞いたところ、佐々井上人は朝早くに出かけてしまったらしい。そして帰ってくるのは夕方以降になりそうだが、具体的にいつになるかは誰にも分からないとのこと。

はじめはこのまま佐々井上人が返ってくるまでずっとこの場所で待っていようかと思ったが、夕方まで来ないのが確定しているのであれば、どうせだったらナーグプルを観光しようと思った。ここで初めてナーグプルの観光名所をネットで検索。すると、インド仏教の聖地ということも有り、仏教施設も勿論色々あるが、ヒンドゥー教関連施設もたくさんあることが分かった。現在の時刻は12時30分くらい。夕方まで時間はそれなりにあるので、取り敢えず近場で面白そうなところから回っていくことにした。

 

Shri Ganesh Mandir Tekdi

私は何故かガネーシャが大好きで、観光地でもデリーでも、ガネーシャを見つけたら写真を撮るようにしている。特にガネーシャのご利益にあやかろうと思っているわけではないのだが、何かフォルムが可愛くて惹かれるのだ。調べるとこのナーグプルにはガネーシャのかなり有名なお寺が有るとのことで、行ってみた。ラーマ寺院再建の日と言うことも有り、人でごった返していた。

外から見ただけでは、この寺院はガネーシャを祀っているお寺だということは分からない。カジュラホで見たような伝統的なヒンドゥー教寺院では無く、比較的新しい現代的な寺院の様だ。入口で、現地の人に倣って靴を脱いで入る。ここには観光客など一切来ないのだろう、ヒンディー語の看板しかなく、英語での説明は一切ない。入るのに入場料が要るのかどうかも分からない。寺院内部にどうやって入ればいいのかも分からない。人に聞きながら進んでいくと、中には確かにガネーシャのご神体が有った。

ガネーシャのご神体。木の根元がオレンジでガネーシャ風に装飾されている。

横から見るとご神木が上まで延びている。

正直言って、そのご神体は想像とはかなり違った。立派なご神木をオレンジ色に塗ってガネーシャっぽくしているものだ。私はあの優しい象の顔とおなか周りのフォルムが好きなのだが。。。どでかいガネーシャの石像か何かがあるのだろうと思っていたので、正直期待外れではある。でも、大好きなガネーシャの神聖な場所ということで、来てよかった。この本堂の周りには数個のヒンドゥー教施設が有り、一応全てわってお参りをした。中には、ヒンドゥー教のお寺でよくある、真っ白で目がギンギンの、豪華な服を着た神様の像があった。

いつもの、デリーの街中にあるようなヒンドゥー教の神像。
Dikshabhoomi(ディクシャブーミ)

ディクシャブーミという場所は日本人には(恐らくほとんどのインド人にも)聞き馴染みのない場所であるが、歴史的にもインドの政治的にも非常に重要な場所である。Dr. アンベードカルが1956年にこの地で4万人近くの大量の仏教徒への改宗を行ったことで知られ、インド仏教再興がここから始まったとされる、インド仏教の聖地である。

そもそもアンベードガルという名前も歴史好き以外のほとんどの人には聞き馴染みが無いかもしれない。アンベードカルはカースト制度の不可触民出身の政治家・活動家であり、インド独立の際の憲法草案作成者である。カーストによる差別を禁止したことで知られる。以下にWikipediaのリンクを掲載しておく。

ディークシャーブーミ - Wikipedia

ビームラーオ・アンベードカル - Wikipedia

ディクシャブーミの中にはアンベードカルの功績が記されていたのと、重要な写真が飾られていた。中は撮影禁止の為写真は無し。

ディクシャブーミの外観。

周りにはアンベードカルの胸像と、仏陀の像が設置されていた。

ディクシャブーミの外にはアンベードカルの胸像がある。

対をなすように仏陀像もある。

ディクシャブーミに入る際には、靴とカバンを預けなければいけないのだが、そのような注意書きは目のつくところに一切書いていないので、入り口に座っている門番代わりのおばあさんに何度か怒られた。まずそのまま入ろうとして、「靴を脱げ」と(勿論ヒンディー語で)注意されたので、周りを見回すと靴の預け入れ所があった。そこに5ルピーを払って靴を預ける。入ろうとすると、「カバンをおいていけ」と(勿論ヒンディー語で)注意される。靴を預けるところではカバンは預かってくれない。「入口においていい?」と門番代わりのおばあさんに聞くと、「ああいいよ」と首を振ってくれたがまさにその時!反対側にいる門番代わりのおばあさんBが「そこにおくな!」と注意してくる。ここの意思疎通はちゃんとしておいてくれよ、と思いつつ入口からちょっと離れた場所にカバンを置いて行った。でも結構カバンを野ざらしで置かなければならないので、おばあさんの泥棒抑止力も信用できないこともあり、そわそわして中の展示はしっかりゆっくりと見ることは出来なかった。(結果的には勿論盗まれることは無かったが。)

 

Ambajhari Garden

私は水辺が大好きだ。インドでも日本でもその他の国でも、旅行に行くと、川・湖・海・ダムといった水辺に吸い寄せられるように、訪れてしまう。ディクシャブーミの観光を終えて、次どこに行こうかなとGoogleMapを見ていると、ディクシャブーミからそう遠くない所に湖があるではないか。しかもその近くにはGardenと名のつく場所がある。恐らく、湖を眺めながらゆっくりと出来るような場所なのであろう。と思い、Uberで車を走らせた。到着するとなんとがっかり、Gardenは閉まっていた。周りには正直しょぼい店が1つあるだけ、後は行商人のおばあさんが手作りなのか良く分からない小物を売っているだけ。幸運にも、湖のほとりに繋がる道はあいていたので、入ってみることにした。

美しい湖が広がっている。写真で分かる通り、ナーグプルはそれほど空気が良くない。ナーグプルから帰ってきて喉風邪をひいてしまった。

やはり湖は良い。心を洗い流してくれるような気がする。ここはカップルのデートスポットにもなっているようで、カップルから写真を撮るように頼まれた。

浪漫の有る謎の施設を発見。男だったら行きたくなる。

近づいてみた。いくっきゃない。

 

見事に何もなかったがこれでいい。帰り道、若者の男女集団とすれ違った。

龍宮寺(Dragon Palace Temple)

ディクシャブーミから湖に異動した時に考えていた行程としては、湖の見えるGardenでゆっくりして時間をつぶし、17時ごろにIndora Buddha Viharに戻って佐々井上人にお会いする再チャレンジしようと思っていた。

しかしGardenがそもそも開いてなくて時間の潰しようが無かったので、やや地理的には遠い場所にあるのだが龍宮寺(Dragon Palace Temple)に行くことにした。中々格好いい英名を持っているではないか。湖から龍宮寺まではUberでタクシーを手配して行ったのだが、最初に来たドライバーが中々にうっとうしく、まずキャンセルして行先をGoogleMapに入れてくれ、だの、既に決まっているお金の交渉を再度チャレンジしてくるだの、面倒だったので、その場でキャンセルさせて、どこかへ行かせた。2台目の人は普通のドライバーだったのでこの車に乗って向かうことにした。

参道。奥の建物は何とも日本的、というか日本宗教的。

近づいてみると妙海山龍宮寺の文字が。右端に移る黄色い服の子供は「Chinese!Chinese!」とまあうるさく腹立たしいガキだった。

 

龍宮寺は見た目からして完全に日本式のお寺。日本の方の寄付によってつくられたのだとか。寺院の前には石の階段があり、その横には感じで”龍宮寺”と書かれている。その下には英語・ヒンディー語・日本語でこのお寺に関する説明がなされている。

三言語で説明がなされている。

寺院の中には日本式の太鼓のようなものも有り、10人ほどがお祈りをしていた。

中の様子。何人かがお祈りを捧げている。奥には日本のお寺でよく見るような太鼓が並ぶ。


ちょっと疲れたので、庭園で腰かけて休憩。何人かうっとうしい子供がいたが、仏の心で無視。子供が指をさして「Chinese!」と叫んでいるのになぜ母親は注意しない?次からこういう家族には悪意で対応しようと心に決めている。「お前のお母さんはどこだ?なぜここまで無知な子供を教育しない?」「子供が無知でレイシストなのは親であるあなたの教育が酷いからだ。だからインドは貧しいままなんだ。」とかなんとか言ってやろうと思ってる。性格悪すぎますよね、ここまでは言いませんが確りと親に対して教育するようには言おうと思っています。

さあ、この後はIndora Buddha Viharに行こうと思い、Uberで車を予約。それを待つ間、喉が渇いたので龍宮寺の周りにある露店で水を購入したが、ペットボトルに砂が着きまくっていて、ちょっと怖いので結局飲めなかった。小腹が空いたので、Indora Buddha Viharに行く前に、市内中心地にあるモールの中のケンタッキーへ向かった。ナーグプルでは観光客が珍しいのか、モールの中でもかなりじろじろと見られた。風景を取っているふりして盗撮してるやつ。ばれてるぞ。日本での有名人もこんな感じで盗撮されるストレスにさらされているのだろうと思うと、本当に大変だと思う、という有名人気取りが出来てしまうのがインドだ。ケンタッキーではポップコーンビリヤニを注文。最近はまっているやつで、ビリヤニというか辛めのスパイス味のご飯の上に小粒のフライドチキンが乗っているもの。デリーでも良く食べているやつだが、変な冒険をするのもなと思い、食べなれたものを注文した。

 

Indora Buddha Vihar

17時30分ごろ、もう一回Indora Buddha Viharに行って粘ろうと思い、Uberで車を予約して向かった。ただフライトの都合上、19時までには空港にいたいので、どれだけ遅くてもIndora Buddha Viharを18時30分には出る必要がある。渋滞を考慮したらもう少し早い方が良いが。。。まあ最悪の最悪はナーグプルに一泊してもいいかなとも思っていた。

モールから15分ほどで到着。然し、着いたら朝開いていたはずの正面の門が閉まっていた。ガチャガチャと動かしても一切動かないので諦めようとしたら、脇にある横門から、オレンジの袈裟を着たお坊さんが見えるではないか。脇口から入れるのかと思い、中に入る。先ほどは誰もいなかったオフィスにインド人が3人いた。拙いヒンディー語で話しかけてみる。「佐々井上人はいらっしゃらないのか?」と質問すると、1人が「佐々井上人は今、遠くに出張に出かけていらっしゃる。夜19時には帰ってくるだろう。」との回答。心の中では、「いや、19時には空港にいなきゃいけないんですよ。どうしような。」と思いながら、まあそもそもアポなし突撃で来たからしょうがないな、そもそも会えることが奇跡なんだ、と思った。スタッフが「一応佐々井上人の電話番号を教えるからあとでかけてみな。」と電話番号まで教えてもらった。

まあ出来るだけ待ってみようと思い、18時15分くらいまで待っていた。寺院の中には私と、恐らく貧しい老婆一人だけだった。老婆は寺院の中に積まれている椅子を2個並べて、足を延ばして座っていた。もう少し時間が経ち、もう今回は佐々井上人には会えないだろうな、と思った。(ノートを持っていればよかったのだが)持っていた本をちぎり、自分の思いを書き留めてオフィスの人に渡そうと、準備していた。するとオフィスの一人が急に私に向かって「Come on! Come on!」と声をかけてきた。最初は自分に話しかけているのかも良く分からずうろたえていると、「お前だ!来い!」と言われるので言われるままに外に出た。

外に出ると、バンが3台ほど止まっており、その内の1台から佐々井上人が下りてこられた。丁度出張から帰られた佐々井上人にお会いすることが出来たのだ。お目にかかれただけで、背筋が伸びる思いで、目には涙が上がってきた。長時間の出張ということで佐々井上人もお疲れであった為、軽い自己紹介と一言二言を交わした。でもそれで十分だった。なんと、お疲れであろうに、一緒に写真も撮って頂いた。これは一生の宝物になる。

佐々井上人と取って頂いた1枚。お会いするだけで涙が出てきた。

そこにはもう一人の日本人住職の方(亀井さん)がいらして、佐々井上人が亀井さんに「おい、空港まで送ってやれ」とおっしゃった。私は空港まで亀井さんに送って頂くことになった。

 

空港へ

空港までの道中、亀井さんとは色々な話をした。亀井さんは2016年にナーグプルに来て佐々井上人の下で修行されているとのこと。2014年、佐々井上人が危篤になられたことが有り、その際に日本で支援者が募って、佐々井上人の身の回りのお世話をしたり日本食をつくったりする人が派遣されたらしい。亀井さんは当時働いており、まさか自分が行くなんて思ってもいなかったとのことだが、第5陣くらいでナーグプルに出発した。その時39歳だった。基本的にこのナーグプルで生活しているようで、ブッダガヤにもムンバイにもタージマハルにも行ったことが無いらしい。

自分の身の上話もしたし、色々な事を質問した。ラーマ寺院再建のこの日にインド仏教の聖地でインド仏教の最高指導者である佐々井上人にお会いできたというこの意味を噛みしめて、インドで仏教徒がどのような扱いを受けているかなどについても色々お話を伺った。亀井さんは”外国人”というくくりである為、余り差別を受けていると感じることは無いが、インド人の仏教徒は、最近のヒンドゥーナショナリズムの強まりを背景に、命の危機を感じるような経験もしているらしい。

次は、事前にアポを取ってきてくれれば佐々井上人とじっくりお話も出来るということ。必ず来ますと約束した。佐々井上人も既に90歳近く、確りとお話をお聞きできる時間もそれほど長くはないとお察しする。

亀井さん曰く、最近は結構飛び込みで来る人が多いらしい。愛知県出身なんですと伝えると、「最近愛知県出身の人確かに多いよ。そういう流れなのかな。」と。東大出身なんですと伝えると、「こないだも東大出身のひとが来てたな。なにか吸い寄せられるものがあるのかな。」と。そんな話をしながら、空港に到着した。

 

最後、ラインを交換して写真を撮ってお別れした。ここでも偶然の出会いにと自分の運の良さに感謝する出来事を沢山経験できた。

 

備忘録
  1. 2024年1月22日は、今後のインドという国の在り方を決めるうえで非常に重要な転換点になるかもしれない。私はインドの多様性が好きだ。言語も宗教もバラバラな国がインドという国名の下に結束している、そんな不思議さが好きだ。でも最近のインドはそうじゃない。特にモディ政権下では、ヒンドゥーナショナリズムが高揚し、少数派の立ち位置はかなり厳しい状況に追い込まれている。政教分離を謳っている筈なのに、どうも宗教面で多様性が脅かされている。そんな時期に少数派である仏教徒の方にお話を聞くことが出来たのは非常に貴重な経験であった。
  2. 佐々井上人の生きざまは本当に感動する。自分が心の底から成し遂げたいと思うものに、人生を捧げて取り組むことができるのは並大抵の決意ではない。しかも、その目標も世俗的な私利私欲に塗れたものではなく、崇高な理念の達成に向けて44年間も日本に帰らずにインドという異国の地で身を粉にして働き続ける。とてもこのような素晴らしい人生を歩むことは出来そうにないが、一つのロールモデルとして心に刻む。

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