カジューのインド徒然草

インド(ニューデリー在住)。旅行記を中心にインド生活を綴る。ヒンディー語も勉強中。20代中盤のインド大好き若手駐在員の徒然なる日常を書き記します。

この雲は何の暗示ですか

昨日、フマユーン廟を観光案内していた時に、空一面をこんな雲が覆っていた。

日本語で言うとこれはなんていう雲なんだろう。小さい頃、いろんな雲の種類の名前を覚えたが忘れてしまった。というかこの写真、空の青さと夕焼けの感じとフマユーン廟の歴史的な感じがあいまって、結構いい写真だな。

 

そして、夕焼け。いい景色。

 

フマユーンは朝6時から夕方6時まで。朝の時間もう少し遅くからでいいから、夕方もうちょっと長く開けてくれないかな。

 

そして、まあこのフマユーン廟に入る前に、リキシャで変なところに降ろされたので、入り口まで少し歩いていく必要があった。Google mapで調べてもよくわからないので、周りの人に聞きながら進んでいった。殆どの人は、ここをまっすぐ行って左だよ、とか教えてくれるのだが、待ってましたとばかりに「リキシャに乗れ」と話しかけてくる奴がいる。はーむかつく。ヒンディー語で、「嘘つくな、なんて貧しい奴だ。」と言ってやった。そうでもしないとまた夜まで引きずるから。

せめてもの救いは、その周りにいた人たちが、ちゃんとその嘘つきに「おいやめろ」みたいな反応をして、正しい道を教えてくれたことだ。殆どのインド人はいい人なんだけど、観光地のインド人は本当にダメ。ありえない。回り回って自分たちの首を絞めることになることが分からないのだろうか。。。

 

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オールドデリーの天下とりました

今日、日本から大学の後輩が卒業旅行でインドに遊びにきたのでオールドデリーを案内した。その中で、オールドデリーの中心であるジャーマーマスジッドに行った。そして、中にあるミナレットの頂上まで登ってきた。頂上からの眺めはまるでデリーの天下をとったかの様にデリーを一望できた。

ジャーマーマスジッドの外国人の入場料は300ルピー、ミナレットに登るにはプラス200ルピー。ただせっかく日本から来ているので、お金を払って全部体験することにした。

いつ見ても、やっぱでかいし凄い。平日の割にかなり人が多かった。この写真は、ミナレットの頂上に登る前の準備段階として、やや上に登ったところからの写真。モスク内の広場が一望できる。これだけでも結構いい景色だ。

 

そして、階段を登ってミナレットの頂上へ。この階段がまあ長い長い。あ、光が差してきたのでもう少しで頂上かな、と思うとただの窓から漏れる光で、まだまだ続く。そして、いざ頂上へ到着。

モスク越しのデリー市内。

もう少し左を見てみた。デリー市内から、川を挟んでUP(ウッタルプラデーシュ)州。奥に見えるビル群はNoidaかなあ。

もう少しこちら側も。左側に見切れているのがラールキラー(Red Fort)。

こんな感じで柵越しの写真も。

 

ちなみに我々が登った時には、他にも白人観光客が2組いたが、概してそれほど人気は無さそうだ。実際に登ったみるとかなり眺めは壮観だったし、旅行でデリーに来ている人はお金を払う価値ありだと思う。この時代でさえ、デリー内にこのミナレットの頂上より高い建物は殆どなく、まさにデリーの天下を取ったような気持ちを錯覚させるのであった。数百年前、まだ高い建物が殆どない時にこのミナレットの与える威圧感というか凄さはそりゃ強かっただろうと思う。

 

あと、これはインド観光地あるあるなのだが、チケットカウンターから上に上がるための場所が分かりづらすぎる。チケットカウンターから入口までの導線が悪すぎるのはインドあるあるなのだが、観光客から高いお金を取って観光に力を入れようとするのであれば、もっと外国人が(もっといえば初見の人が)観光しやすい導線づくりを進めていく必要があると思う。

 

とにかく、もし旅行でジャーマーマスジッドに行く予定があり、さらに時間があれば+200ルピー払ってみるのは良いかもしれない。デリーの街を見下ろして、天下を取った様な錯覚ができる。

 

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Sizzlerの意味を知っているか

デリーでよくみるGola Sizzlerという店。モールの中には大体入ってるし、コンノートプレイスみたいなオシャレスポットにも大体ある。存在は認識していたが、これまで入ったことは無かった。

というかSizzlerの意味を知らなかったので、どういう食べ物かも知らなかった。日本に、Sizzlerという名前のサラダバー的な?チェーン店があるのは知っていたので、勝手にヘルシー系メニューだと思っていた。

 

Saketにあるセレクトシティモールをぶらぶらをした後、入るお店を決めかねていたところにGola Sizzlerが目に入る。せっかくなので入ってみることにした。

 

店内はこんな感じでとても落ち着いた雰囲気で高級感を出している。

メニューを開けると、スープ、スターター、そしてSizzlerの欄が。いやだからSizzlerってなんだよと思いながらフレンチオニオンスープとパニールティッカシズラーを選択。よく分からないなりに待っていると、奥の席に料理が運ばれている。チラッと見てみると、鉄板の上に肉が乗って、煙をたててジャージャーといっている。

 

ここでやっと"Sizzler"をGoogleで検索。すると、Sizzlerの意味は"ジュージューと音を立てること、またはそのような料理"とのこと。知らなかった。

というか、この店結構お高いな。シズラー一品で1200ルピーくらいするではないか。まあ、シズラーが何かわからないので、これが高いか安いかも判断つかないのだが。

 

そうこうしていると、頼んだオニオンスープとパニールティッカシズラーが到着。オニオンスープを一口飲むと、なんだかちょっと酸味が。日本でこれまで食べてきたものとはちょっと味が違うが、うまい。そしてメインのシズラーがこちら。

焼きカレーみたいな感じで、ピリ辛パニールと、コーンから蓮根からインゲンから、いろんな野菜が楽しめる料理だ。付け合わせはライスとパランタ(パン)から選べたのでパランタを選択したが、ライスでも良かったかも。

謎のベジ用シシカバブも付いていた。一口食べたが、これが一体何なのか分からない。結局、シズラーは食べ切ったのだがこのシシカバブは残してしまった。。。

 

素材、味ともにしっかりと美味しく、満足度は高め!しっかり野菜も取れたので栄養的にも満足。次はノンベジも食べてみたい。

 

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インドの警察

今日は天気が良かったのでお散歩デー。Khan Marketのスタバで読書してからインド門に向かう。インド門は観光客のインド人が多すぎて、じっと見られるわ写真撮られるわうざい声かけさせるわで、即退散。インド門からコンノートまでの2,3kmを歩いて向かうことに。

 

そこで見つけたのがこちら。

インドの治安を守ってくれてるPoliceです。そんなわけない。

 

道中では高貴なクジャクも発見。

同じようなワンちゃんが5匹一緒に寝てる可愛らしいシーンにも遭遇。

コンノート近くで見つけたガネーシャ。良い写が撮れた。

 

天気がいい日は散歩すると、色んな出会いや発見があって楽しいです。特にインドでは道を歩いているだけでエンタメになるのがとても良い。たまにtoo muchな時があるが、それもご愛嬌。

 

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本場!コンノートの行列カレー店。-Kake Da Hotel-

カレー大国インドには色んなタイプのカレーがある。一つの国の中でも地域によってカレーのテイストや作り方、食べ方は大きく異なってくる。デリーではバターチキンやパニールをメインとしたトロトロのグレービー状のカレーにロティやナンをつけて食べるのが一般的だろう。

 

デリーには、DhahaやMoti Mahal、Sandozなどといった名前のいわゆるチェーン店が多く立ち並び、間違いのない方インド料理を楽しむことができる。そんななかでも、デリーの中心地であるコンノートプレイスにあるこのKake Da Hotelは、より現地的なカレーを楽しむことが出来る。

 

まず、店の出立ちからチェーン店ではない。

インドでは、あまりご飯屋さんに人が外まで並ぶことってあまり無いのだが、ここはお昼時はいつも店の外まで列ができている。

 

中に入るとこんな感じで、エアコンはついていない。

いかにもローカルな感じなので、インドを感じたい旅行者とかにはオススメかも。

バターチキンを注文したら出てきたのがこちら。いわゆるイメージのバターチキンとは一風変わった感じ。実食してみると、確かに美味い。日本人に万人受けするタイプの味では無いが、しっかりとスパイスの味が効いていて、インドのカレーを食べている!という感じを体感できる。本場のカレーって感じだ。

 

そしてなんとびっくり、このお店では羊の脳みそカレーが食べられる。このお店の名物なのでわざわざこれを食べにくる人もいるくらい。私の知り合いの日本人は食べており、美味しいと言っていたが私は勇気が出ず。。。そもそも日本でもホルモンすら食べられない私が挑戦して良い代物ではなさそう。

 

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「インドにスーパーマーケットはありません。」

 

インドにも勿論スーパーマーケットはある。ついこないだXで、インド案内人だかを名乗るひとが「インドにスーパーは無い!!」などと発言して、インド在住者界隈に袋叩きにあっていた。確かにインド中でもの都市部から離れた所にはスーパーは無いだろうし、デリーでも30年前とかはもしかしたら殆ど無かったのかもしれない。しかし今や、デリーは街を歩けば"モダンバザール"などのチェーン展開されたスーパーマーケットが立ち並ぶ。品ぞろえに関してどうなの?と思う方もいると思うが、インドを侮る勿れ、日本と同じような商品が安く手に入る。勿論日本と比べると、商品陳列のやり方であったり、店員の教育であったり、まだまだだなと感じることも多い。しかし今やデリーでも、手軽に日本食が手に入る時代なのである。

 

例えば、私の家の近くにあるSelect City Walk Mallというモールの地下にあるモダンバザールではこのような商品が手に入る。

モダンバザール。商品は整然と陳列されている。

ドリンクコーナーも充実。

 

日本の麺類は普通にスーパーマーケットに売っている。

スーパーの中に日用品も売っているのは日本と一緒。

トリュフ系の高級志向の商品も売っている。

インドならではだなと感じるのは、野菜は全て重さの量り売り。積み重なっている野菜から必要な分を自分で選んで、店員さんに持っていく。すると店員さんが重さを図ってくれて、紙袋にパックしてくれる。そして紙袋にその場で印刷されたバーコードを張り付けてくれる。

野菜ゾーン。必要な分だけ持っていくと、店員が重さを量ってバーコードを出してくれる。

日本料理を作るのには殆ど苦労しない。ただ、日本と比べると高かったり味がイマイチだったりするものも勿論ある。

インドのカレーに飽きた人は日本式カレーも食べれます。

インドでよく見るブランドはキッコーマン。醤油一つとっても、ベジ対応のものだったり、インドならではの商品も色々出している。

ゴマドレッシングまで。

キッコーマンの企業努力。

いやキッコーマン頑張り過ぎ。

調理器具にしても、こっちで調達するので全く問題無いです。

日本の百均料理グッズみたいなのもちゃんと売っている。

もはや日本人向けやん。

しかしながら、色々なスーパーマーケットや町中のローカルマーケット、デリバリーサービスなどを利用したところ、今現在私が一番良いと思う野菜や食料品の買い方は、断然デリバリーサービスだ。スーパーマーケットを紹介しておいてどないやねん、という感じだが、なんとデリバリーサービスの方が安くて新鮮ですぐに家に届く、ということが多い。インドのデリバリーサービスは、これに就いても一つ記事が書けるくらいなのだが、例えば野菜からお菓子から歯磨き粉のような日用品まで、注文してから15分後には既に家に届いている。しかも安いし、これまでの経験上、野菜もかなり新鮮なものが届く印象。唯一の欠点は自分で野菜を見て手に取って選ぶことが出来ないので、品質の悪いものが届くリスクも有るし、想像していたタイプのものと違うという可能性も有る。

他の用事でモールに訪れたときに、ふらっと立ち寄れるのがスーパーマーケットの強みでもある。元も子もないが、時と場合によって使い分けるのが良いのだろう。

blinkitアプリ。ちゃんと新鮮な商品が15分足らずで家に届く。インドのデリバリーサービス凄すぎ。

こんな感じで野菜とかも好きなだけ買える。

水も足りなくなったら直ぐに買い足せるので、不便を感じたことは無い。

何が言いたいかというと、インドのスーパーマーケットは普通に凄いし、もしこれからインドに来る方がいれば、安心してきて欲しいという事だ。

 

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『古文漢文不要論』について、インドに来て思う事

昨日くらいからX上で古文漢文不要論がまた盛り上がってるのを見た。私は学生時代から一貫して古文漢文が不要だと思ったことは一度もない。しかし、それもよく考え直してみると、一貫して"古文漢文必要論"に立っていたわけではない。私の古文漢文に対するスタンスは①学生時代(特に高校時代)、②大学社会人時代(受験終了後漠然と)、③そして今、の3つの変遷を辿っている気がするので、思考の整理を兼ねて私の思うところを記す。定期的に話題になるこの件だが、なぜ今また古文漢文不要論が話題になっているかというと、おそらく国立大の2次試験が終わったばかりで皆受験の話をしたいんでしょう。たぶん。

 

学生時代(主に高校時代)

高校時代、一番私が古文漢文に触れていた時期は、古文漢文の要不要にこだわっていなかった。授業をしっかり聞いていたわけではないが、古文漢文で出てくるお話を読むのは普通に楽しかったし、例えば『胡蝶の夢』なんかは初めて読んだ時衝撃を受けた。「狂人の真似とて大路を走らばすなわち狂人なり」は私の座右の銘というか一番好きな言葉の一つでもある。

そしてなにより、テストで点数が取れていた。私にとっては数学よりも頭を使わずに解けるし、歴史ほど詳細までしっかり覚える必要もなく、比較的楽に点が取れるサービス科目だと思っていた。特に古文は、平安時代ならいざ知らず、江戸時代の文章とかは現代の格式高い文章とそれほど多く変わることはないので、そのまま文章を読み、そのまま問題文を読んで、そのまま答えるだけのものだと思っていた。実際にテストとして得意だったこともあり、不要論を唱えることは無かった。寧ろ無くなったら点を稼ぐポイントが減ってしまう。これで、古文漢文が壊滅的に苦手だったのであれば、もしかしたら不要説の立場に立っていたかもしれない。

 

高校時代の私は、逆説的なのだが、古文漢文不要論は決して唱えないながらも、気合を入れて勉強していたわけではない。みんなと同じ単語帳を読むだけ、という感じ。そんな感じで受験していたら、入試の2次試験で思いっきり平安時代源氏物語が出題されて、ほとんど問題が何を書いているか分からずに絶望したことを覚えている。

 

その後漠然と。。。

その後、普通に人生を生きてきた中で、特に古文漢文の要不要を深く考えることは無かった。たまにTwitter上でこの議題が上がったときにちょっと自分で考えるくらい。

そのときのジェネラルな私の考えとしては、「古文漢文を学ぶことが大事なのは当たり前じゃない?」という考え。

まず一番に出てくるのは、教養。竹取物語源氏物語枕草子徒然草土佐日記古今和歌集平家物語、などなどなどなど。日本人として知ってて当たり前のことを学ぶことは大事。漢文も同じで、孔子の考えもそうだし、例えば"矛盾"の話とかは知っておかなければいけないことだと思う。太陽が東からのぼって西へ沈むこと、S極とN極が互いにひかれあうこと、関ヶ原の合戦徳川家康が勝ったこと、このへんと同じく、知っておかねばならないことだと思う。ここにも、これを知らなくても生きていけるという反論はあるかもしれないが、それを言い出したら足し算ができなくても生きていけるし、字を読めなくてもべつに生きていける。それはインドに来て本当に身に染みて学んだ。

 

教養は勿論のこと、今現在自分たちが使っている言葉がどのような成り立ちで出来ているかを知るのって、自分の思考の枠組みや思考体系を知ることにもつながる。それって、とても大切なことだと思う。そしてこのとおり古文が必要なので、同様に漢文も必要だという理論。だって、はるか昔、日本人は公式な場では漢文を用いていたんだから。この、"自分たちの言葉の成り立ちを知る"っていうのが不要だろ、と言われたらどう反論しようか。ちょっとイデオロギー的な話になってきたり、国家論的な話に立ち入ってきそうな気がする。でもこれはある意味では正しくて、元々の国民皆教育の成り立ちを考えれば、自国の言葉の成り立ちを学ぶことで日本人としての意識を醸成するというのは教育において非常に重要な役割を占めている、と言わざるを得ない。そして私もそう思う。だから必要だし、大事だし。

 

そして、知的好奇心という意味でも重要だな、と思う。これは個人の感性によるものが大きいと思うので単なる主張の補強にしかならないのだけれども。何百何千年前に同じ日本列島に暮らしていた人が、私たちが今使っている言葉の下となった言葉を使って実際に言語活動を紡いでいたことが分かるって、すっごいワクワクするし、面白いと私は思う。

 

「古文は必要だが漢文は不要!だって中国の言葉じゃないか!」って言っている人の考えは正直よく分からない、と思っていたし今でも思っている。我々日本人の祖先が我々と同じように読んできて、日本語の中に取り入れてきた言葉なんだから漢文は日本語の一部でしょう。ひらがなかたかなが漢字(万葉仮名)に由来していることや、ひらがなかたかなを用いて文章・日記を書くことが馬鹿にされていた時期があるということは、一般的な教育を受けているなら知っているはずなのだが、うーん。

"日本語の歴史の中の漢文を学ぶ"ことが大事なのだったら、最初から全て書き下した文章で読ませろ!という主張ならまあわかる。漢文を書き下す術は、正直我々が身につけるものでは無いと私も思う。確かに漢文の白文をそのまま暗唱することが教育だった時代もあるだろうが、それはあくまでお経を暗唱するような物であって、直接"日本語"に与える影響は極めて軽微であることがうかがえるから。ただし私の記憶が確かなら、私が受けたときの漢文の入試問題は白文で出されていたような。。。大学入試を受けたのが2017年、既に7年前か、とも思うしまだ7年しかたっていないのか、とも思う。まあそれは置いといて。

 

今、インドで何を考えるか。

今、私はインド人とより深いコミュニケーションを取るために、ヒンディー語を学んでいる。ヒンディー語学習の一環で、より多くのインド人とヒンディー語で話そうと繋がりをつくっている。そんな中、特に若い世代のインド人と話していると、以下のようなことをよく聞く。

「I'm not good at Hindi」「My Hindi is so broken」「I've learned Hindi at school, but...」

これらは、北インドの中心地、デリーで生まれ育った人たちから聞いた。南インド出身で、そもそも母語ヒンディー語ではなく、ヒンディー語をそもそも使わないとかではない。周りにヒンディー語が溢れているような状況で、自分たちの母語ともいえるヒンディー語を上手く話せない、それほどヒンディー語の知識が無い、と言ってしまうのだ。

インドでよく聞く言葉で、"I'm English Native, Hindi Medium"、こんな言葉がある。特に都市部の若者に多いのだが、子供のころから教育を全て英語で受けて、自分の母語は英語でありヒンディー語はso-soだ、という人たちだ。いまインドの若者の間では、自国の言葉で自分をうまく表現できない、自国の言葉を使うことにコンプレックスがある、そんな状況になってしまっている。ヒンディー語の難しい語彙はShudh Hindi(Pure Hindi)と呼ばれ、そういう語彙を使うことは"ダサい"こととされる。非常に深く細かい概念をヒンディー語では議論するのが難しい、そんな状況になっている。

 

このままいけば、インドの素晴らしい特徴の一つである"言語の多様性"はそう遠くないうちに消えゆくと思う。それは第一公用語を自称するヒンディー語による侵食ではなく、英語によるものだ。自国の言葉が無くなったら、国の歴史を、文化を、伝統を、すべて自国の言葉で語れなくなってしまう。(インドでは"自国の言葉”というワードを使うのは不適切だが、一般化している。)そんな未来を想像すると、怖いし、グロテスクな現実だと思った。

 

じゃあ日本は?恐らく、今後も色々な変容が見られるであろうが、日本で話される言葉が"日本語"であることは変わらないのではないかと思う。そして、変えてはならないと思う。日本語で紡がれてきた歴史や文化の糸を断ち切ってはいけないと思う。特殊な高等教育を受けた人だけが自国の歴史や文化にアクセスできるような状況では絶対にいけないと思う。そして、古文漢文を学ぶことは、この状況を守ることにも繋がると思う。だから、古文漢文は絶対に必要だ、という主張はインドに来てますます強くなった。

 

そして、要不要を語る前に、そもそも自国の言葉の古文漢文を学ぶことが出来る、というのがいかに特権的であるか、をしみじみと感じている。義務教育で、今使っている言葉のなりたちから全て学ぶことができる。なんと特権的なことか。別に、卒業したら"あらまほし"の意味を忘れたっていいし、"はなじろむ"の意味が分からなくたっていい。でも、この特権性を忘れて古文漢文の不要論を徒に唱えるのは、いささか早計ではないかなと思うし、もし古文漢文が不要だと思う人がいるならば、ちょっと思い直して欲しいとも思う。この特権性は大学教育についても言えることだと思っていて、自国の言葉で世界最高水準の大学教育まですべて修了できる国ってどれだけあるだろう。このことについてはまた徒然と別の記事でいつか綴ろうと思う。

 

 

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