カジューのインド徒然草

インド(ニューデリー在住)。旅行記を中心にインド生活を綴る。ヒンディー語も勉強中。20代中盤のインド大好き若手駐在員の徒然なる日常を書き記します。

デリー観光その2 クトゥブミナール

デリーにある歴史的建造物で一番有名なものといえば、もしかしたらクトゥブミナールかもしれない。私が高校時代使っていた山川の詳説世界史Bの教科書にもしっかり写真付きで掲載されていたし、"奴隷王朝のアイバク"っていう名前もかなり印象的だし、なぜか73mっていう高さまで覚えている。私がただの歴史好きなだけかもしれない。が、いずれにせよこのクトゥブミナールという遺跡は、歴史的価値も勿論高いし、デリーの観光地としてはフマユーン廟よりは人気がありそうだ。

 

クトゥブ・ミナール - Wikipedia

ちょっと説明

上記Wikipediaにも書いてある通り、クトゥブミナールはインド最古のミナレットとされている。インドは今はヒンドゥー教が多数派を占めており中心となっている国家だが、ご存じの通り英国占領前まではムガル帝国というイスラム王朝がインドを支配していた。それよりさらにさかのぼって西暦1200年ごろ、インドに初めてのイスラム王朝が誕生する。その建国者が、奴隷王朝のアイバクという王である。その後デリー・スルタン王朝と総称される、デリーを中心とした北インドイスラム王朝支配下に置かれた。その当時の歴史を残す、とても貴重な遺跡でもある。

チャンドラヴァルマンの柱(デリーの鉄柱)

勿論クトゥブミナールは世界遺産に登録されているが、その対象は有名な塔だけではなく、"クトゥブミナールとその遺跡群"として登録されている。それはどういうことかというと、800年前に建設されたクトゥブミナール以外にも、歴史的価値のあるものがいくつかあるということである。その一つが、チャンドラヴァルマンの柱ともいわれる鉄柱である。これも、世界史の教科書や資料集にはっきりと掲載されていたので、覚えている方も多いと思う。これはなんとグプタ朝時代、西暦400年ごろに作られた鉄柱なのだ。なんと、1600年前に作られた鉄柱が、そのまま風に吹き晒される環境の中そびえたっている。しかもなんと、それだけの時間が経過してもなお一切さびていないのだ。これは、この鉄の純度が高すぎる故である、と言われている(実際は、インド原産の鉄に含まれる不純物のおかげで鉄柱がコーティングされている為という説が有力)。

鉄柱。サンスクリット語で色々書いてあったが流石に読めない。

デリーの鉄柱 - Wikipedia

 

といったように、目で見ても面白いし、歴史を紐解いていくと更に面白い発見があるのがこのクトゥブミナールなのである。ここを訪れたのは2023年12月28日。またなんでこんな年末に、という感じだが、意外とこういう「休み!!」っていう時間が無いと近場の観光地まではなかなか足が伸びない。

 

クトゥブミナール遺跡群に到着

クトゥブミナール遺跡群は我々の住む南デリーにあり、生活圏からそう遠くない。家からはリシキャで30分しないくらいで到着する。流石にここは人気の観光地。入口には自称ガイドが多くおり、ゲートはかなり混雑している。E-ticketを購入し、ゲートに並ぶ。男性、女性、外国人とゲートが分かれているが、途中で全てごちゃごちゃになっている。手前の女性用レーンと、奥の女性用手荷物検査口が、対角線上にあるのでゲートを通った後は男女外国人ぐちゃぐちゃにならざるを得ない。ただレーンの位置を手前と奥で一致させればいいだけなのだが、この根本的な解決を行わないところがインド的。とりあえずこれで回っているからいいじゃん、としてしまうのだ。また、クトゥブミナールは驚くことに他の外国人観光客も非常に多く訪れていた。

クトゥブミナール

中に入ると、すぐ目にお目当てのミナレットが飛び込んでくる。

すぐにミナレットが目に入る。観光客はかなり多い。

もう少し近づいてみるとかなり大きくて圧倒される。

73mという高さは頭ではわかっていても、実際に目の前にするとかなり大きい。これが西暦1200年にあったとかんがえると、そりゃ遠くからでも見えたし、自分たちの力を誇示するにはもってこいだと感じた。

近づいてみると、イスラーム様式の模様が彫られている。アラビア文字も見える。
周辺の遺跡群

ミナレットの周りには、それを取り囲むようにイスラム建築群が立ち並ぶ。

繊細なイスラム建築とクトゥブミナール。

ドーム内のデザインも美しい。

インドの観光地ではかならずお目にかかるリスさん。近距離ショットに成功。
アライ・ミナール

クトゥブミナールの直ぐ近く、敷地内にはこのような謎の建築物がある。

何やら異様な雰囲気。遠くから見たら大きな岩の壁かと思った。

これはなんと、未完のまま打ち捨てられたミナレットなのである。クトゥブミナールの倍の大きさのミナレットを立てようと計画したアイバクの子孫が建設を開始するも、財政難の為に志半ばで建設取り止めになった悲しい塔(になるはずだったもの)なのだ。土台の部分しか残っていないにも拘わらずその大きさは目を引く為、完成していたらどれ程の大きさになっていたのだろうと興味をひかせる。

裏側。ここが正面入口(予定)で、階段を設置して上がる算段だったのだろうか。

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